動物行動学者が論じる、ちょっと過激な「肉食の哲学」

肉食の哲学

2018年、フランスで起きたベジタリアンによる肉屋の襲撃事件は、衝撃でした。

食べられるために殺される動物がかわいそうと言いながら、人に対する暴力は厭わない態度は、私には理解し難いものでした。

この本「肉食の哲学」も、この事件がきっかけの一つとなって書かれたと思われます。

サステナブル料理研究家、一般社団法人DRYandPEACE代表理事のサカイ優佳子です。

2011年からは特に、現代のライフスタイルに合わせた乾物の活用法の研究、発信に力を入れています。

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stand FM 「動物行動学者による『肉食の哲学』

1 倫理的ベジタリアンと、政治的ベジタリアン

ベジタリアンになる理由は、人それぞれ、著者はそれを3つに分類しています。

  1. 政治的ベジタリアン(環境への悪影響や非道な工業的畜産を理由とする)
  2. 倫理的ベジタリアン(感覚と知性を持つ動物を苦しめることを理由とする)
  3. その他の、嗜好や衛生などを理由とするベジタリアン

この本の著者、ドミニク・レステル氏は、3については特に取り上げず、1の政治的ベジタリアンには、肉食者としても、むしろ共感を覚えると言います。

肉食を、殺害、苦痛、エゴイズムと関連づけ、肉食者を悪とし、肉食者を攻撃する(特に西洋人の)「倫理的ベジタリアン」の主張の論理的矛盾をつき、論破しようと試みているのが、この本です。

2 倫理的ベジタリアンの矛盾〜人間を特別視

「動物は感覚と知性を持つから、食われるために殺されない権利を持つ」「動物を苦しめてはいけない」が、倫理的ベジタリアンの主な主張であると、著者はいいます。

それなら、

  1. 肉を食べることができない苦しみは、どう考えるのか?
    殺される動物の苦しみよりはマシと反論するでしょうが、本来雑食の人間が一生肉を食べられないことも苦しみではないのか?と問いかけます。
  2. 植物はいいのか?苦しまないと断定できるのか?
  3. 農地を耕すためにミミズや昆虫を殺すのはいいのか?
  4. 蚊やゴキブリを殺すのはいいのか?
  5. 人間以外の他の動物にも、動物の殺生を禁じるのか?
    特に、倫理的ベジタリアンの多くが犬や猫のような肉食動物をペットにしているが、犬や猫にも草食動物になれというのか?と問いかけます。

倫理的ベジタリアンの考え方の基礎にあるのは、生物間のヒエラルキーで、人間が全てを決められると、人による選択を破格に重要視するヒト上位の考え方だとするのです。

また、「ありのままの自然を憎む人」と批判します。

3 肉食者からの疑問

生まれない家畜

動物にとって重要なのは、より長くよりよく生きることよりも繁殖することとするリチャード・ドーキンスの説をあげ、菜食が広まれば、家畜はそもそも生まれなくなることをどう考えるのかと著者は問います。

培養肉なら食べるのか?

動物を殺さずに作れる培養肉なら食べるのか?とも疑問を投げかけます。

著者は、培養肉を、純粋に資本主義的な産物とし、こうした動きには反対しているようです。

4 目指すべき態度は、「倫理的肉食者」

著者は、ヒトは、「倫理的肉食者」であるべきだといいます。

あらゆる捕食動物と同じ行動を受け入れること=人は雑食であるということを受け入れることこそが、反=種差別な態度なのでないかと主張し、倫理的肉食者とは、他のいきものがいなくては自分もいきていはいけないこと、自分もその一部であることを受け入れる姿勢を持つ人であるとします。

具体的には、食べるために生き物を殺すときに、その苦痛を少なくし全てを利用し切ること、エネルギーの循環を意識し、肉食を抑制して儀礼化することが必要とします。

過剰に肉を食べる現代西洋社会は、「所有欲の罪」に問われるべきで、生の営みの外に身をおこうとする倫理的ベジタリアンは「生物として傲慢」であるとするのです。

そして、そうした考え方にそって、適切に扱われた動物由来の肉のみを食べようと提案します。

5 読み終えて

共感と違和感

正直、かなり過激な発言も含まれるこの本ではあります。

でも、倫理的肉食者であろうという主張、動物行動学が専門という著者だからこその、ヒトも一動物にすぎず、特別なものではないという姿勢には共感を覚えます。

著者の、いい意味でも悪い意味でも理論好きなフランス人的な議論の持ち方も、興味深かったです。

一方で、適切に扱われた動物由来の肉のみを食べることの難しさという限界も感じます。

食文化は、それぞれの人々が置かれた条件の中で育まれてきたものです。

例えば、鯨の実際の数が絶滅危惧状況にある場合はもちろん別ですが、「鯨は頭がいいから殺すべきではない」という類の主張には、何を基準にそういうのか、なぜ人がそれを決められるのかと私自身、違和感をいただいてきました。

動物を愛する気持ちと肉食を望まない気持ちはセットではない

ちょうど昨日見た「都市を耕す エディブル シティ」という映画の中で、ある男性がうさぎを自らしめる時に、「まずはリラックスさせて苦しませないように」と言いながらその息を止め、足を縛って吊るして皮を剥ぐ場面がありました。

自分はベジタリアンではないけれど、肉をいただく時に、その動物の命に対して敬意を持って望むと語るシーンを見ながら、この本の著者の「動物を愛する気持ちと肉食を望まない気持ちはセットではない」という言葉を思い出していました。

食生活は保守的

私は、ベジタリアンではありません。

なんでも感謝して、無駄にせずにいただこうと思っていますが、著者のいう倫理的肉食者の域には届いていない、普通の一肉食者に過ぎません。

今までの食生活を急激に変えることは、ほとんどの人にとって簡単なことではありません。

政治的ベジタリアンが心配するところの、環境への悪影響や、いき過ぎた工業的畜産を意識し、一人一人が少しずつでも行動を変えていくことが大切と思います。

以前、あるベジタリアンの女性が、「週に1日だけ肉を食べない日を作るだけでもいいんじゃないですか?」と話していたのが記憶に残っています。

自分の思うところと違う考え方の人に、真っ向から対立するのではなく、こんなふうにさらっと提案できるって素敵だなと思いました。

ベジタリアンであることを絶対の「善」と振りかざすのではなく、もちろん肉食者も肉食であることこそ善だと主張するのではなく、協調していくことこそ、大切なのではないでしょうか。

政治的ベジタリアンと倫理的肉食者を、増やしていくことは、きっとより良い地球の未来につながるのだから。

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ABOUTこの記事をかいた人

サステナブル料理研究家/一般社団法人DRYandPEACE代表理事
東大法学部卒。外資系金融機関等を経て、娘の重度のアトピーをきっかけに食の世界に。

食には未来を変える力があるという信念のもと、今のライフスタイルにあった乾物や米粉の活用法を中心にレシピを開発している。
料理教室の開催、企業向けメニュー開発、研修など多数。

料理を自由に発想でき、毎日の料理が楽しくなる独自の「ピボットメソッド」を考案。個人やメニュー開発が必要な方向けのトレーニングも行っている。

著書14冊。メディア出演多数。

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